
イエスの受難って
キリスト教の人たちにとっては
人類の罪を背負いはったことになってるかもしれんけど
私には21世紀に生きてる私にとっては
あれらの受難のシーンを見せることで
イエスは、”痛み”というものを
イエスが背負ったものを
二度と誰にも
背負わすことのないようにと
強く、強く、強く
伝えようとしてるんじゃないか?
他人事ではなく
今すぐに
誰かを、何かを傷つけるのはやめようと
言っているんじゃないか?
すべてを自分の中のもんへ
つなげてみる
表層だけで生きてるのは
生きているうちには
入らんのじゃないか?
